月: 2021年3月

きつい日だった

睡眠の質が悪いとフラッシュバックに対する耐性も下がるらしくてかなり厳しかった。一時的なものとは言い聞かせてもここまで長引くと相当弱気になる。


現状

相変わらずフラッシュバックは続いてるけど苦痛は減っている。強烈な感情に襲われて意識と身体がなすすべなくおしまいになる時間もたぶん短くなってる。このまま治りたい。


2011年の頃

その頃Twitterで四六時中絡まれていた子がいた。

当時の僕は大学に入って5年目になっていた。地方のあまり出来のよくない高校から学年で1人東京の大学に進学したものの、生活は何もうまくいかず、アパートで鬱々と引きこもる生活が続いていた。
それでも前年に鬱が底を打って少しだけ大学に通えるようになってきていた。Twitterを始めたのがすべてだった。タイムラインだけが外界との繋がりだった。

その子とフォロー関係になったのは春頃だった。オタク女らしいウザさで誰かに絡んだり誰かに絡まれたりしていた。なぜか僕には特に興味を持っていたみたいだった。朝から晩までリプライが飛んできていた。今考えると精神的にずいぶん助けられていたと思う。本当に鬱陶しかったけど。

秋頃に急にアカウントを消した。その直前にとても印象的な一言をくれたのをずっと覚えてる。
数日後に共通のフォロワー経由で都内に呼び出されて言伝てをもらい、僕の影響でした三島塔子のコスプレで使ったとかいう狐のお面と、ローリーズファームのマフラーを手渡された。そういえばあれが初めてのネットの人と会う経験だった気がする。

今でも思い出す。今は何をしているんだろう。

マフラーは今もクローゼットの一番上で眠っている。
冬に東京に行くときは必ず持っていくようにしていた。


気付き

今日気付いたのはおそらく既にPTSDで具合が悪くなっているというよりも気分が鬱屈しているとPTSDみたいな症状が出るという段階らしい。無理矢理にでも自分の調子を上げていったほうが良さそう。できたら苦労しないんだけど。

相変わらず動悸だけはどうしようもない。さすがにこれはもう少し長引いたら病院かな。


良くはない

今週はなかなか厳しい。
動悸の乱れは減少傾向だけどなかなか取れないのと、強烈なフラッシュバックはもうほぼなくなったものの慢性的な気分の鬱屈がある。
そういう自己認識より行動が鈍くなってるのが厳しい。外出できてないしあんまり感情動かせてない。
ゆっくりやってくさ


暖かい日

北海道は2021年になってから一番の暖かさ。

年々雪が少なくなってる。気象データ上は知らないけど除雪に1時間かかる日は確実に減っていってる。感覚が大事。

昔からなんてことない場面で明らかに不合理な罪の意識とか罪責感に襲われることがあるんだけど、これやっぱり心が処理できないままになってる小さい頃の記憶があるのかなと思う。


ラジオと写真集

心理的には安定してるんだけど昨日から心臓の動悸に1日中ずっと意識を持っていかれてる。これに関しては心因性じゃないほうが嫌だな……さすがに自律神経とかが原因だと思うけど。

意味やイメージが強いものがきつくて本も読めないしアニメもさっぱり観れないので週末からずっと超!A&Gを流し続けてる。Vの番組がごろごろ増えてて驚いてる。

それと昔買った写真集を一冊ずつ引き出してぱらぱらめくってる。こういう状態だと余計にイメージの表現って言葉や意味から離れるような表現なんだなと思わされる。

メッセージくださった方重ね重ねありがとうございます。本当に救われました。


過去の再解釈

自分の症状の対処法を越えてトラウマに関心がある理由に僕の哲学趣味の傾向がある。

前にも書いたけど僕はベルクソンやハイデガーと言った生の哲学と呼ばれる哲学上の流れに強いシンパシーがある。他には挙げればフッサールやウィトゲンシュタイン。最近ならフーコー。ニーチェは好きと言えるほど読み込んでない。ドゥルーズもこの延長線上にある。というか元々のルーツを辿ると僕の哲学趣味はドゥルーズに興味を持ったところから始まっていて、そこから遡るようにフッサールやハイデガーを読んだのが僕の哲学の読み方のベースになった。

これらの哲学者には似通った時間哲学がある。僕は哲学の面白さは抽象的な領域を扱うことによって多かれ少なかれ世界についての常識を破壊することにあると思ってる派なんだけど、彼らの時間哲学はその代表的なものといえる。

さて、一般的な考え方では、時間は過去→現在→未来の順に流れる。過去は既に起こったことで決定済みであり、変更することはできない。だが哲学のおもしろさはここに疑いをかけるところにある。
たとえば化石のようなものを例に取ってみる。今ここにアンモナイトであれ恐竜の骨であれ、何かしらの化石があるとする。普通に考えればこれは太古の昔に生きていた生物が死んだあと石になり、今ここに存在している。時間の流れは過去→現在。
だが、ここには見逃せないファクターがある。この化石という物体が元は太古の生物であり、かつて存在していたという認識は、専門的な古生物学者によって得られたものだ。生きていた頃の姿なども古生物学者の知識によって復元されたものになる。そしてその根拠は「今ここ」にある化石や地層といったものにある。換言すれば現在から過去が導かれている。現在→過去。ここで時間の流れは逆転している。

だいぶ細部を端折っているのでかなり乱暴な話になってるけど、これは主に大陸哲学における観念論の哲学という大きな流れの性格が影響している。この立場では人間の主観に大きなプライオリティを与える。デカルトのコギトがその最も古い祖先。それが時間哲学に反映されると、「現在」に大きな価値が与えられることになる。

これは意外に単なる言葉遊びに留まるわけでもない。たとえば人間のアイデンティティの問題なんかも大きくこの括りに収まる。
ごく簡単にいえば「私は…である」という命題がある。「…」にはおおむね職業、階級、趣味、その他社会的属性や身体特徴、性別など様々な要素が代入できる。ネットでプロフィール欄に何を書くかも同様の事態。
しかし、それを書くとき、その過去は生のものにはならない。そこには現在から見られた選択的な意志が介在している。つまり、ここでの過去=アイデンティティは、そのときどきの現在から光を照らして有用な部分を集めて再構成されたものだ。
べつに過去とは無差別に恣意的に変更できるものだという話でもない。むしろここではアイデンティティ(=解釈された過去)とは、多かれ少なかれそのとき人が置かれている「現在の状況」が反映されている、というほうが重要だろう。社会学の巨人はこういった問題を扱っていた。
しかし、そのようにして了解された過去=アイデンティティはどこまで行っても1つの解釈に留まる。光で照らされなかった闇の中には、広大な純粋過去が口を開けている。まだ自分にも気が付かれていないだけで。


べッセル・ヴァン・デア・コーク『身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法』

トラウマ関連で最初に読んだのがべッセル・ヴァン・デア・コーク『身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法』。おそらく現在手に取りやすい一般向けの概説書では最もメジャーだと思われる。著者のヴァンデアコークはハーマンの『心的外傷と回復』の序文にも名前が載っているトラウマ研究の大家。
分厚いけど読みやすい良書だった。筆致も当事者を励ますような目配せが見て取れて精神が不安定なときでもわりと落ち着いて読めた。

特徴はタイトル通りトラウマを身体症状として理解する立場で、特に薬物治療・DSMや認知行動療法に懐疑的な傾向が一貫して取られている。
内容は大きくトラウマの身体メカニズム・トラウマの研究史/時代ごとの社会的な受容・幼少期におけるトラウマ(発達性トラウマ)・そして治療法に分かれる。ページ数としては最後のあらゆる治療法にボリュームが取られているけど、どちらかというと前半のトラウマについての研究のほうが面白く読めた。治療方法もかなり興味深いものが沢山ある(特にEMDRやIFS家族療法)けど、薬物や認知行動療法に対するバイアスがやや強めに感じるのと現実的に患者が受けるのは厳しいだろうというのが多い。
ただとにかく網羅的に書かれているのでトラウマ/PTSDに対する精神医学的なトピックは超広範囲をカバーできる。実際この本を読んでから色々と個々のトピックを調べながら本を探した。そういう役割を果たしてくれる本。

一番興味を惹かれたのはやはりトラウマの身体的メカニズムの部分。いまどき趣味で哲学やっていればこのあたりの分野は無意識でも入ってくる。
身体器官としては何より脳、そして自律神経などの身体のメカニズムも言及される。神経科学は1990年代初頭に全身スキャナーが発明されたことで大きく進歩したんだとか。
前頭葉・扁桃体・交感神経/副交感神経などの重要な器官の仕組み、また闘争/逃走反応といった用語は他の本でも何度も見た。このあたりの内容はもう1冊の良書だったストレスに負けない生活―心・身体・脳のセルフケア (ちくま新書)とも共通するところが多い。

この中で紹介されているポリヴェーガル理論というのにいろんな意味で特に興味を惹かれた。たぶん次に書く。

今日の調子はとても良い。