カテゴリー: 観たもの聴いたものその他

ワールドカップも終わったので

ワールドカップだけサッカー観るにわかでも3大会くらい視聴し続けてるとサッカーのリーグ構造(四大とか移籍の流動性が超高いとか)とか有名な選手とか各国のチームカラーとかぼちぼち頭に入ってくるので以前より面白かった。

日本のジャイキリとその勢いに乗り切れないグダグダさも良かったし前回から好きになって注目してたモドリッチ率いるクロアチアの躍進も面白く観れた。
普段からのサッカーファンにはヨーロッパのナショナルチーム同士のガチり合いとか南米と欧州の大陸隔てたマッチアップが醍醐味なんだろうけど、個人的にはやっぱりポット下位国が強豪相手にどう立ち回るかってのが強い関心なのでその意味でも予選の番狂わせが多かった今回は面白かった。予選のカオスさと決勝トーナメントの硬さがワールドカップの好きなところ。

そのラストに待っていたのが壮絶な激闘の末にメッシがすべてを持っていくという筋書きもいまだに現実感がなさすぎる凄さでいまだに何か言葉にならない。
やっぱり地球全体を巻き込むイベントって伊達じゃないんだなぁと思うしこういうことが起こるのがしみじみ凄いなぁと思う。

ついでにAbemaがプレミアリーグを無料放送しているのでもう少しサッカーを齧ろうかなと思って本とかプライムのドキュメンタリー番組にぼちぼち手を出したりした。

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テイルズオブファンタジアはSFC版だとゲーム中のドット絵がイラストと違ってて

開発の経緯によると藤島康介が参加したのが開発の後期になってからですり合わせが間に合わなかったかららしいんだけど、

その当時のドット絵版のキャラクターデザインを書いてた人が大昔2chのスレを見て当時の資料をアップしていて、

そのサイトがまだ生きてた。

NOSTALGIC PHANTASIAN (sakura.ne.jp)


やばい

本当にずとまよばっかり聴いてたり観たりしてる。













 

 


若菜レイというVTuberがいて

溜めてた下書き消化する気になってたきけどこれいつのだっけ、9月か、丸1ヶ月か…

Vはあっという間に産業化されちゃったのが面白くなくてすぐ観なくなっちゃったんだけど、その後もしばらく追ってた一人が若菜くんという人だった。

もう2年前に活動は辞めちゃったけど今年になって同人誌を出した人がいて、(コミケのブースに本人来てたらしい)在庫もせっかくだから買わせてもらった。私は形で残るものが好きなんだ。

アーカイブとかはもう消しちゃったけど、本人が作ったものより視聴者側の1人から見た姿を描いた形で残るのはいいなぁと思った。


お絵描きAIとフレーム問題

僕の好きなベルクソンやハイデガーの哲学は人工知能批判という文脈で援用されたりするんだけど、最近イラスト関連のトピックにずっと張り付いてるうちに(描いてない)特に勢いのあるお絵描きAIにまんま当てはまる事例があることに気がついた。

今の二次絵で主流になっているNobelAIを含む大元のStable DiffusionというAIモデルは「何を描かせるか」を指示するプロンプト(いわゆる呪文)に加えて、「何を描かせないか」を指定するネガティブプロンプトという2種類の入力があるんだけど、遊び方が熟成されるに連れてだんだんこの後者のネガティブプロンプトが重要なのがわかってきた。

例えばこの人は泳ぐセフィロスを描かせようとすると勝手に女にされたり羽をつけられたりするのでネガティブプロンプトでマイナス指定してる。

他には中国語圏ユーザー作った元素法典ではネガティブプロンプトに膨大なリストを列挙させることで描画がクリアになることが発見された。

【日本語訳】元素法典 巻ノ一 #NovelAI #元素法典|さいP|note

自分でも環境作ってちょっとだけやってみたけど確かにネガティブを増やすほど物体同士が溶けてくっつくような現象が減っていく気がする。

で、これで思い出したのが、古典的な人工知能の難問であるフレーム問題。

哲学者ダニエル・デネットが論文[2]で示した例を挙げて説明する。

状況として、洞窟の中にロボットを動かすバッテリーがあり、その上に時限爆弾が仕掛けられている。このままでは爆弾が爆発してバッテリーが破壊され、ロボットはバッテリー交換ができなくなってしまうので、洞窟の中からバッテリーを取り出してこなくてはならない。ロボットは、「洞窟からバッテリーを取り出してくること」を指示された。

人工知能ロボット1号機R1[3]は、うまくプログラムされていたため、洞窟に入って無事にバッテリーを取り出すことができた。しかし、R1はバッテリーの上に爆弾が載っていることには気づいていたが、バッテリーを運ぶと爆弾も一緒に運び出してしまうことに気づかなかったため、洞窟から出た後に爆弾が爆発してしまった。これはR1が、バッテリーを取り出すという目的については理解していたが、それによって副次的に発生する事項(バッテリーを取り出すと爆弾も同時に運んでしまうこと)について理解していなかったのが原因である。

そこで、目的を遂行するにあたって副次的に発生する事項も考慮する人工知能ロボット2号機R1-D1[4]を開発した。しかしR1-D1は、洞窟に入ってバッテリーの前に来たところで動作しなくなり、そのまま時限爆弾が作動して吹っ飛んでしまった。R1-D1は、バッテリーの前で「このバッテリーを動かすと上にのった爆弾は爆発しないかどうか」「バッテリーを動かす前に爆弾を移動させないといけないか」「爆弾を動かそうとすると、天井が落ちてきたりしないか」「爆弾に近づくと壁の色が変わったりしないか」などなど、副次的に発生しうるあらゆる事項を考え始めてしまい、無限に思考し続けてしまったのである。これは、副次的に発生しうる事項というのが無限にあり、それら全てを考慮するには無限の計算時間を必要とするからである。ただ、副次的に発生する事項といっても、「壁の色が変わったりしないか」などというのは、通常、考慮する必要がない。

そこで、目的を遂行するにあたって無関係な事項は考慮しないように改良した人工知能ロボット3号機R2-D1[5]を開発した。しかし今度は、R2-D1は洞窟に入る前に動作しなくなった。R2-D1は洞窟に入る前に、目的と無関係な事項を全て洗い出そうとして、無限に思考し続けてしまったのである。これは、目的と無関係な事項というのも無限にあるため、それら全てを考慮するには無限の計算時間を必要とするからである。事程左様に、人間のように判断することができるロボットR2-D2を作るのは難しい。

フレーム問題 – Wikipedia

簡単に言えば人間は外を歩いているときに「隕石が落ちてくる」みたいな事態を想定しながら行動することはそうそうないけど、AIはその状況で起こりうるありとあらゆる可能性を無限に検討しなければならず、(プログラミングで言えばif文を無限に作らなければならない)その無限というのは文字通り無限なのでロボットはその時点で壊れる(=ロボットは「思考」ができない)というもの。

これは一昔前は上に引用したような思考実験の1つだったんだけど、お絵描きAIを見ているうちに本当に現実にまんまこれが起こっていることに気がついた。ビックリした。
つまり、学習データに一度入れてしまったものはどんなに小さくても可能性の1つとして考慮しなければならないので、変な異物が紛れ込んだり、ラーメンが食べられなかったり、アニメ調の絵と3DCG調の絵の両方の画風をどっちつかずでミックスして出力してしまったりする。
そしてそこを人間がネガティブプロンプトに指定し、除外の対象にすることで絵が安定してくる。

そして、ここからは多分AI研究じゃなくて哲学や人間学の話になると思うんだけど、これをまた逆向きにフィードバックしてではAIではなに人間の知能とは何なのかを考えることで見えてくるものがある。すなわち、人間の思考は計算機的な情報処理能力が「高い」のでなく、今ここで起こりうる無限の可能性の中から無視することなのだと。

一般的にはある環境の中で、これをさらに突き詰めると主観主義的観念論になってくる。ようするに、無視されている事態の可能性とはただ意識に昇っていないのではなく、「存在」しないのである。

私の言語の限界は、私の世界の限界を意味する。(5.6)

私たちは、考えることのできないことを、考えることはできない。だから私たちは、考えることのできないことを、言うこともできない。(5.61)

ヴィトゲンシュタイン. 論理哲学論考 (光文社古典新訳文庫) . . Kindle 版.

ここでウィトゲンシュタイン大先生が書いている「世界の限界」が「フレーム」に相当する。フッサールとハイデガーの現象学やユクスキュルの環境世界の概念なんかもほぼ同じ。ウニの世界には棘で感覚される信号しか存在しない。

そんな中でマシンパワーのゴリ押しでフレーム問題を文字通り無視して人間に追いつきそうな現代AIはどうなっちゃうんだろうね、というお話でした。


アクログラムが活動終了

https://twitter.com/akroglam/status/1491351501352337410

コロナなかったら色々違ったのかなぁ、とか考えちゃうけど、やむをえないね。ちゃんと綺麗に畳んだだけ恵まれてる方か。

次にライブ行くとしたらアクログラムだと思って密かに夢見てたな。
ベストアルバムと一緒にカバーアルバム、それにミネラルズのボックスとリストバンドを買った。


ゴッホ展 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント

珍しく上京する所用があり、プライベートの時間に都美術館でやってるゴッホ展を見てきた。

言わずもがな日本人にダントツ人気の画家なので何度目かわからないくらいのゴッホ展なわけだけど、実際は一口に◯◯展と言ってもどこから作品を借りてくるかで内容は結構まちまちになる。

今回の展示作品は展覧会の副題にゴッホ(フィンセント・ファン・ゴッホ)と並んで名前が刻まれているヘレーネ・クレラー=ミュラーが収集し、クレラー=ミュラー美術館に収蔵されているコレクションが中心。

で、副題でゴッホの前にヘレーネが来ている通り、ゴッホ作品を収集したこの人自身にもスポットが当てられている。そしてこのコンセプトが滅法面白かった。
ゴッホは「生前評価されなかった画家」の代表的存在なわけだけど、私はこういうタイプの芸術家や作家で最も気になるのが「じゃあ後世に何があって現在のように評価されるようになったのか」という点である。宗教家で言えば親鸞や哲学者で言えばスピノザがそれにあたる。

そして、ゴッホの場合、そもそも評価のきっかけで非常に大きな役割になったのがこのヘレーネ・クレラー=ミュラーだそう。
彼女はゴッホの死後まもない頃、まだ世間に評価される前から積極的に作品を購入し、そしてコレクションを貸し出すことで熱心にゴッホの魅力を伝えようとしたのだそう。
その財源は夫が大商人だったことかららしいけど、単なる成金の趣味ではなかったことは人生の苦悩から芸術に目を開かされたというエピソードや、何より今回の展示を見ればすぐわかる。
これは特にゴッホ以外の画家の作品で顕著で、今まで知らなかった画家でも技術に優れていて説得力のある絵ばかりだったり、逆にミレーやルノワールといった有名な画家では小品ながらも完成度が高いという確かな審美眼と内面に美学を持っていたことを感じさせる。僕はピエト・モンドリアンが好きで画集も持っているだけど、今回の出展作なんかも微妙に彼の王道のスタイルとは微妙に外したものがチョイスされていて非常にセンスを感じる。

ゴッホについては言わずもがな全キャリアを網羅している圧倒的としか言いようがない展示でもうこれ以上の濃さはそうそうないだろう。ピカソがパブリックイメージではあんな絵でもデッサンは激うまなことはよく引き合いに出されるけど、ゴッホのデッサンももうそれだけでものすごい力強さを感じる(デッサンだけで1フロア丸ごと使って展示されている)。
そして一般的なゴッホのイメージとなっている明るい色彩と大胆な筆使いのスタイルに到達するまでの迷走期もしっかり展示されていて(順番に従って通時的に見ていくとそれも後々の作品にちゃんと活かされているのもわかる)、死ぬほどボリュームがあった。伊達に世界で2番目のゴッホコレクションなだけはない。

当たり前だけどどんなに偉大な作家や作品も最初に発見・評価する受け手によって初めてその資格を得る。文学の新人賞なんかもそうだ。そういう意味では世界史のあちこちに光を当てられることなく眠り続けている第2、第3のファン・ゴッホがいるのかもしれない。

ヘレーネ・クレラー=ミュラーは最終的に夫の事業が傾き、夢だった美術館の開館も困難に陥る。しかし当初のプランから大幅に規模を縮小し、最終的にはすべての作品をオランダ政府に寄贈することで漕ぎ着ける。そして開館の翌年に亡くなる。
ゴッホは作品と同じくらいその生き様も人々を魅了するけど、その画家を取り巻く人々にもそれぞれの人生のドラマがあること感じる展覧会でした。


委の本質は安達祐実だったのかもしれないな(月ノ美兎『月の兎はヴァーチュアルの夢をみる』)

委員長のアルバムがリリースされました。

この手の企画モノ的アルバムってだいたい作曲家の個性に歌い手が負けて平板な仕上がりになってるのが多いイメージなんだけど、これは会心の出来。
どの曲もちゃんと尖っててちゃんと月ノ美兎の曲。ずっと前にリリースされてたはずのササキトモコ作曲・それゆけ!学級委員長も全体の流れでまったく浮いてない。これを叩き台にして全体のコンセプト広げたのかな?

もう一般アーティストとアニソン畑の垣根なんか語るのが滑稽な時代だけど、それでもなお作曲陣は鬼のように豪華。広川恵一やIOSYSといったアニソンシーンの人からASA-CHANG&巡礼や長谷川白紙、堀込泰行、いとうせいこう、會田茂一といったサブカルシーンの人まで、これだけの面子の幅広さはそうそう見た覚えがない。

月ノ美兎の1stアルバムに堀込泰行、大槻ケンヂ、いとうせいこう is the poet、長谷川白紙ら豪華作家陣(コメントあり) – 音楽ナタリー

アルバム全体を通した印象は「月ノ美兎」というキャラクターに対するトリビュートアルバムやイメージソングアルバムといった装い。これが単純な「歌い手+作家」的な作りに硬直化することを回避して作品を豊かにしている。
このへんにVTuberっていうカルチャーの懐の広さを感じところで、声優やアニソンシンガーの作品の手触りともまたちょっと違う。二次創作や視聴者との双方向性が跳ね返って本人のキャラに反映されるようなところが出てるかな。
ボーカルも最低限の調整はしてると思うんだけどそのへんの一般人の女っぽさが残ってる。普段はふにゃふにゃだけど歌ったらすごいみたいなギャップもない。客観的に見ればうまくはないんだけどなぜかどの曲にもしっくり馴染んでる。ふしぎだね。

さて、この手の本業歌手じゃないタレント(バーチャルアイドルが本業なのかもしれないが…)と豪華作曲陣の作りの代表作といえば、なんといっても安達祐実のソロアルバムである。

前に書いたやつ↓

90年代の怪盤・安達祐実『Viva!America』がサブスクで配信されています

このアルバムの魅力はなんと言っても安達祐実(当時中3)の破壊的な棒読みボーカルなんだけど、これの成功版が委員長のアルバムなのかもしれないな。

もう「インターネット」って言葉で何かが通じる時代なんてとっくに過去のものになってしまっているけど、それでも委員長は古き良きインターネットを守り続けてくれていて、その心意気がとても嬉しい。
最近あんまり見てなくて負い目もあるのでまた遊びに行きます。


FF6

今ではすっかりゲーム離れしてしまったけど昔はゲーム好きだった。
キッズだった時代はゲーム関連のホームページばっかり見てた。
不思議なものでその頃から断続的に付き合いが続いてて今もツイッターで相互フォローの人もいる。もう20年くらいか……。たぶん僕はインターネット上のデジタルな関係が生涯のソーシャル資本になる最初期の世代なんだろう。

『FF6』のバグを令和になっても探し続ける男──「縛りプレイ記録更新のために本職のゲームデバッガーに」狂気に満ちたやりこみゲーマーの生き様に迫る

FF6は昔から言ってるけど特に好きなゲームで、プレイした当時ひじょうな感銘を受けた。
やりこみプレイという世界があるのを知ったののもこのタイトルがきっかけだった。いろんな意味で世界が広がったと思う。

エディさんは今この世界でぶっちぎりで有名な人だと思うけど、この記事で少し触れられている更新前の8484歩の記録は更新をほぼリアルタイムで読んだ。最後に少し触れられてるField of Dreamsというサイトは当時FF5の攻略サイトとして有名だった。FF6は寄稿だけど、この投稿者の方もいろんなサイトで有名だった。

Field of Dreams

FF6 低歩数攻略

エディさんが書き込んでいる掲示板のスレッドがこれ。これですら2013年でもうすぐ10年前……。
http://fieldofdreams.happy.nu/bbs/cleyra/stbbs.cgi?_0=10&_1=letstalk&_2=l&_3=0&_10=1381727199

覚えている限りネットに低歩数クリアを初めて上げたのはシークエンスファクトリーというサイトでこれがすべての礎になっているはずなんだけどこっちはもう見つからない。

そんな前世紀の記録。

★★★

オリンピック開会式。
スピッツとレヴュースタァライト(あとクラスルームクライシス)のおかげで無意識や身体レベルで底上げされたのかかなり上向いてる。苦痛を紛らわしたいより楽しいことがしたいくらいの気持ちが出てきた。でもやっぱりもうちょっとコンディションいいときに見たかったな……