ゴッホ展 響きあう魂 ヘレーネとフィンセント

2021年12月5日

珍しく上京する所用があり、プライベートの時間に都美術館でやってるゴッホ展を見てきた。

言わずもがな日本人にダントツ人気の画家なので何度目かわからないくらいのゴッホ展なわけだけど、実際は一口に◯◯展と言ってもどこから作品を借りてくるかで内容は結構まちまちになる。

今回の展示作品は展覧会の副題にゴッホ(フィンセント・ファン・ゴッホ)と並んで名前が刻まれているヘレーネ・クレラー=ミュラーが収集し、クレラー=ミュラー美術館に収蔵されているコレクションが中心。

で、副題でゴッホの前にヘレーネが来ている通り、ゴッホ作品を収集したこの人自身にもスポットが当てられている。そしてこのコンセプトが滅法面白かった。
ゴッホは「生前評価されなかった画家」の代表的存在なわけだけど、私はこういうタイプの芸術家や作家で最も気になるのが「じゃあ後世に何があって現在のように評価されるようになったのか」という点である。宗教家で言えば親鸞や哲学者で言えばスピノザがそれにあたる。

そして、ゴッホの場合、そもそも評価のきっかけで非常に大きな役割になったのがこのヘレーネ・クレラー=ミュラーだそう。
彼女はゴッホの死後まもない頃、まだ世間に評価される前から積極的に作品を購入し、そしてコレクションを貸し出すことで熱心にゴッホの魅力を伝えようとしたのだそう。
その財源は夫が大商人だったことかららしいけど、単なる成金の趣味ではなかったことは人生の苦悩から芸術に目を開かされたというエピソードや、何より今回の展示を見ればすぐわかる。
これは特にゴッホ以外の画家の作品で顕著で、今まで知らなかった画家でも技術に優れていて説得力のある絵ばかりだったり、逆にミレーやルノワールといった有名な画家では小品ながらも完成度が高いという確かな審美眼と内面に美学を持っていたことを感じさせる。僕はピエト・モンドリアンが好きで画集も持っているだけど、今回の出展作なんかも微妙に彼の王道のスタイルとは微妙に外したものがチョイスされていて非常にセンスを感じる。

ゴッホについては言わずもがな全キャリアを網羅している圧倒的としか言いようがない展示でもうこれ以上の濃さはそうそうないだろう。ピカソがパブリックイメージではあんな絵でもデッサンは激うまなことはよく引き合いに出されるけど、ゴッホのデッサンももうそれだけでものすごい力強さを感じる(デッサンだけで1フロア丸ごと使って展示されている)。
そして一般的なゴッホのイメージとなっている明るい色彩と大胆な筆使いのスタイルに到達するまでの迷走期もしっかり展示されていて(順番に従って通時的に見ていくとそれも後々の作品にちゃんと活かされているのもわかる)、死ぬほどボリュームがあった。伊達に世界で2番目のゴッホコレクションなだけはない。

当たり前だけどどんなに偉大な作家や作品も最初に発見・評価する受け手によって初めてその資格を得る。文学の新人賞なんかもそうだ。そういう意味では世界史のあちこちに光を当てられることなく眠り続けている第2、第3のファン・ゴッホがいるのかもしれない。

ヘレーネ・クレラー=ミュラーは最終的に夫の事業が傾き、夢だった美術館の開館も困難に陥る。しかし当初のプランから大幅に規模を縮小し、最終的にはすべての作品をオランダ政府に寄贈することで漕ぎ着ける。そして開館の翌年に亡くなる。
ゴッホは作品と同じくらいその生き様も人々を魅了するけど、その画家を取り巻く人々にもそれぞれの人生のドラマがあること感じる展覧会でした。