ポリヴェーガル理論・三木成夫・吉本隆明

https://en.wikipedia.org/wiki/Polyvagal_theory

https://book.asahi.com/jinbun/article/14124022

 トラウマ関連の理論で最も関心を惹かれたのがポリヴェーガル理論だった。
 これは主に自律神経に関する理論で、1990年代にステファン・W・ポージェスによって提唱された。元々精神医学には直結していない?ところで編み出された理論だったけど、発表後にトラウマ専門医に非常に高く評価されたことで普及したという経緯があるよう。

 ヴァン・デア・コークの大著ではトラウマ現象を身体的メカニズムに還元して説明する節でポージェスを引用していて、非常に高い評価を与えている。自律神経は脳と身体器官を繋ぐ重要な役割があり、簡単に噛み砕けば精神的で非実体的なものにも思える「ストレス」が、どのように内臓のような実体的なところにダメージを与えるかにおいて無視できない位置にある。このあたりは熊野さんの新著にも記述がある。特に関心を惹かれるのは免疫系の反応で、調べるとここはかなり一般常識を越えたような働きが見られる。

 一般的な自律神経の理論では交感神経と副交感神経の2つに分かれ、それぞれがアクセルとブレーキの働きを担う。特に重要視されるのは、人間が危機や危険に直面したときアドレナリンを分泌させ体を緊張状態にする交感神経の働きで、「闘争/逃走反応」と呼ばれている。副交感神経はこの逆で、体を弛緩させ、消化などを司っている。
 そもそもなぜ精神医学で自律神経が重要なのかというと、脳のスキャン画像のようなものとは別に「動物の一種、あるいは哺乳類の一種としての人間」としてアプローチするのが大きいよう。哺乳類でも体や器官は同じものがあるので、その類推から種々の反応を説明できる。そもそもこの闘争/逃走反応のような今でも一般的なものとして受け入れられている自律神経の理論は遡るとチャールズ・ダーウィンが最初に唱えたものらしい。

 さて、ポージェスは自律神経の理論を三段階に分類している。ポージェスは特に哺乳類の一種として人間を捉えていて、人間の自律神経をさらに3つの迷走神経に分けて説明している。
 まず人が驚異を感じたとき、その反応の最初の段階は周囲の人々に助けを求める「社会的関与」に向かう。これを司っているのが「腹側迷走神経」で、これは進化の順番では最も新しく、哺乳類のみにみられるものだとされる。ポージェスは腹側迷走神経が人間の社会的な種々の働きを司っているとしている。
 周囲の人々に助けをえられなかったり、誰もいない場合に使われるのが第二段階の「闘争/逃走反応」で、ポリヴェーガル理論でもこれは交感神経によって担われている。ポージェスはこれを神経系の進化において2番目に古いものとしていて、魚から見られるとしている。
 そして、最後に脅威に対応しようがなく、もはや逃れられない場合は、野生動物が仮死状態になるときに使われる「背側迷走神経」によって、「凍結(凍りつき)」反応が起こる。これは進化の順番では最も古く、シーラカンスなど極端に動きの少ない生き物に備わっているそう。

 と、長々と書いてきたけど実は個人的にはやや懐疑的で、ロマンはあるけど実証性は微妙じゃね、とか思ってたりする。海外フォーラムには(機械翻訳で読んだだけだけど)、論文になっているのはほとんどが精神医学領域で、生理学や精神科学ではあんまりないよという指摘もある。

https://www.researchgate.net/post/After-20-years-of-polyvagal-hypotheses-is-there-any-direct-evidence-for-the-first-3-premises-that-form-the-foundation-of-the-polyvagal-conjectures

 ポージェスもあくまで理論というようなことを言っているらしいので、1つの仮説的な説明モデル、くらいに考えといたほうが良さそうは気がする。

 さて、そんなポリヴェーガル理論だけど、僕はこれに非常によく似た理論を知っている。

 解剖学者・三木成夫である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9C%A8%E6%88%90%E5%A4%AB

 中公新書の『胎児の世界』が有名だけど、三木成夫もまたヘッケルの学説などをベースに人間の身体を進化の流れで捉え、心身問題を脳ではなく内蔵や身体によって説明するきわめて独特な理論あるいは思想を作り上げた。
 出版されている本では津田真人『「ポリヴェーガル理論」を読む -からだ・こころ・社会』あたりが三木成夫にも触れているっぽいんだけどちょっとバカ高すぎるしこれ以上深入りする気にもあんまりなれないのでスルー。

 そして、この三木成夫の理論を高く評価している人がいた。吉本隆明である。
 吉本には共同幻想論と並ぶ(ということになっている)大著に『心的現象論』というのがあり、これはタイトルからわかる通り吉本流の心の理論で、フロイトやマルクスや精神科学などをごった煮にしたあまり評価されていないと思われる仕事。僕もほぼわからない。ただ吉本隆明の思考の癖がわかっているとなんとなく全体のモチーフのようなものはわかる。

 そして、晩年の吉本がどういうわけかこの心的現象論の補助線として導入したのが、三木成夫の内臓の働きによって心を説明する理論だった。
 吉本は本当にずっと読んできたけど、これだけは本当によくわからなかった。年取って耄碌したと言ってしまうのは簡単だけど、それにしたって三木成夫の理論の何が吉本さんにとってクリティカルだったのかはずっとピンと来てなかった。

 しかし、トラウマから入ってポリヴェーガル理論に行き着いたことでなんとなくそこが一本の線に繋がった。
 心的現象論は共同幻想論の土台となる自然哲学のような位置づけにあり、人間の心理的メカニズムを説明する。
 そして、吉本隆明が課題としたのが戦争だったからだ。共同幻想論は最初の章で遠野物語を引いて吉本が入眠状態と呼ぶ一種の集団催眠のような現象を扱っている。言ってしまえば日本国民全員が異常な精神状態だった時代。その心理を説明するためには認知科学のようなモデルではなく、精神医学が扱うような。そしてそれには内蔵や神経系のによって説明される、動物としての人間を扱うモデルのほうが説得力があると思われた。
 そもそも吉本隆明がマルクス主義者の唯物論者なのでこういったものにこだわっている節もあるけど、その因果関係も逆なのかもしれない、そんなことを考えてた。