ドゥルーズちょこちょこ

ドゥルーズを自己啓発書にするほどろくな読み方ねえってのも一理あるとは思うけど、それでも大陸哲学における「生(Vie)」の言葉の使用を軽視していいとは思えない。

『経験論と主体性』をいっぺんちゃんと読むかと思って出したついでに本棚からどさどさまとめて引き抜いた入門書のうちの一冊がクレア・コールブック『ジル・ドゥルーズ』。買ったのはたぶん大学生の頃でちょっと読んで放置してた。
改めて読み始めるとまあ挫折するのもわかる、筆致は明晰だけど難しすぎる。というかドゥルーズの思想自体が難しすぎるので要約や概観から理解しようとするのが厳しい。あるいはドゥルーズの思考のユニークさが「要約や概観」みたいなものに特にそぐわないのかもしれない。

ここ10年でドゥルーズは本当に読みやすくなったと思う。一般の哲学ファンでも翻訳書や日本人の研究書で相当見通しが良くなった。
やっぱり画期的だったと思うのは國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理 』で、あの本の「原理」ってのがポイントで、これが要するに「要約や概観」と逆にアプローチになっていたのが抜群だった。つまり俯瞰ではなく基礎から説き起こす本だった。

福尾匠『眼がスクリーンになるとき』も非常に良い本だった。あれで『シネマ』にもアクセスできるようになった。他に読んでないけど仲正昌樹さんのアンチ・オイディプスの入門書もかなり出来いいと思う。仲正先生はまず悪い本出さないから。哲学者の研究ってこういう風に進んでくんだな~ってのをリアルタイムで見たような気がする。

で、コールブックの入門書だけど、これらを全部読み込んでようやくやっとわかる。筆致は明晰なんだけど密度が高すぎてこれ1冊じゃまず無理、なんとか理解しようとしても表層の浅薄な理解にとどまる。「生成変化」なんかも字面でなんとなくイメージ掴めそうな気がするけどドゥルーズが実際に哲学の領野でどういう意味を持たせようとしてるのかと正確に掴もうとするとバカみてえに難しい(というかドゥルーズの衒学的な書き方のスタイル自体がアレ)