このあいだ虹ヶ咲のテキストに引用するために『エチカ』を引き出してきて久々にぱらぱらとめくった。
改めて読むとしみじみ妙ちきりんな本だと思う。雰囲気で世界の名著◯冊とかに入っているけどこれはどう考えても変な本だ。僕も長いあいだ入門書で丁寧に解説されてわかった気になっていたけど虚心坦懐にこの本自体に向き合って見ると絶対変だ。
別に幾何学的な方法を使った著述のスタイルでもなく汎神論でもない。もっとシンプルに章立てを並べただけでも冷静にまじまじと見ると明らかに変だ。
まず第一部で神の存在証明がなされ、いわゆる汎神論が転機される。第二部ではデカルトを継ぐような人間精神の考察がなされる。ここまではいい。
問題は第三部。章題は「感情の本性と起源について」。ここでいきなり「感情」が俎上に載せられる。ここで展開されている恐れや愛や悲しみや喜びといった各感情の考察については現代においてもいまだに価値があるのかはわからないけど、少なくともこの著者はそれほどまでに「感情」が人間存在にとって重要な要素だと考えている。
私は、感情を導いたり、また感情を抑えたりすることについての人間の無力を隷従と呼ぶ。というのは、感情に支配される人間は、自分自身を支配する力をもちあわせず、むしろ運命の力に自分をゆだねてしまっているからである。
ドゥルーズはそれまでの主流だった第一部の汎神論中心の解釈からこの感情や身体についてのパートを中心にした動的解釈を提出し、スピノザ哲学の現代的解釈を決定づけた。
なんで今こんなことを書いているかというと他ならない自分自身の状態のことで、いまだに続いてるこの強烈に刺されるようなフラッシュバックの苦しさどうやって言葉にしてどんなワードで調べればいいんだろうと色々考えていたときに、これは「感情がコントロールできない」状態なんじゃないかと考えついた。
一度フラッシュバックが起こるともう思考が感情にハイジャックされてるみたいになすすべなく呑み込まれていく。そこまでいくともう頭でどうにか認知を矯正しようとしても手遅れになる。動悸が収まるまでしばらくかかる。
ここで起こっていることは感情の働きが精神の働きをねじ伏せているに等しい。スピノザの哲学ってこういうことかと。
それと別のルートで白黒思考や全か無か思考の傾向がある自覚もあるのでこれも調べてたら精神分析に近い?心理学用語で分裂(スプリッティング)というのがヒットし、そこからこれがよく見られる症例として紹介されていた境界性パーソナリティ障害(BPD)に飛び、そしてこの障害に特化した治療法として開発されたという弁証法的行動療法という治療法に辿り着いた。創始者のマーシャ・リネハンは自身が境界性パーソナリティ障害で、若い頃は自傷を繰り返しある日神秘体験によって治癒したという濃い経歴が書かれている。この治療法は認知行動療法をアレンジしたもので、マインドフルネスを取り入れているあたりも関心を惹かれるけどそれよりもろに「感情の調節(Regulation)」に一節が割かれている。またやはり元当事者の開発した治療法だけあってWikipediaに書かれているだけでもものすごく実践的なアドバイスが多い。日本で治療受けるのは不可能だろうけど自助本が出ており(リンク)単純に興味があるのであとで買うかも。