だいぶ頭の情報処理能力が回復してきた感じがするので『経験論と主体性』を再開。1章まで。
途中でヒュームのテキストも見とかないと無理だとなり中公の縮約版の『人間本性論』にもざざっと目を通す。
思ってた以上にニーチェのような哲学史の傍流に位置づけられる思想家の手触りに近い。ドゥルーズの色眼鏡抜きでもかなり感じる。
経験論と合理論の対立は教科書的な哲学史だとカント哲学の前フリ的に消化されてしまうけど、実際テキストを開いてみるとかなり理性や合理的な思想に対する冷ややかな目線を持っている人柄が伝わってくる。特に情念(感情/情動)や人の嗜好・好みを原理として強く主張していているのも意識が引かれる。
私の指のかすり傷よりも世界全体の破壊を好んだとしても、理性に反することにはならない。