池田暁史『メンタライゼーションを学ぼう—愛着外傷をのりこえるための臨床アプローチ』

2021年12月23日

年始のメンタルの不調から精神医学の本を読み始め、心的外傷や境界性パーソナリティ障害へと関心を移してきたわけだけど、この本が1つ到達点になった気がする。今まで読んできた本だとどんなによい本だと思えてもどうしても感覚的に1%のしこりやもやが残っていたのを綺麗に霧消させてくれた感がある。

そもそも「メンタライゼーション」というのはなんぞやといえばまず第一に認知行動療法などと並べられる理論や療法の一種で、フロイトに端を発する古典的な精神分析と繋がりがある。
「メンタライゼーションとはエビデンスベースの現代化された精神分析である」という見解も多く、この本の著者もその立場から書いているけど、これについてはちょろっと調べるとメンタライゼーションと精神分析は異なるアプローチであるという意見もある。

元々は境界性パーソナリティ障害(BPD)に対して開発され、その後様々な精神医療に応用されているらしい。「古くて素朴な理論」と形容されるように、内容はきわめてシンプル。
「メンタライゼーションとは何か」という問いに対しては「メンタライズ能力」として人間に元来備わっている「自分や他人の心を考える能力」というこれ以上ないほどシンプルな解答が用意されている。

なぜこんな単純な事柄が俎上にあげられるのかといえば、このメンタライズ能力は日常のさまざまな要因によって簡単にバランスを崩してしまうものだから、というのが出発点。

メンタライゼーションでは「覚醒度」というパラメータを設定し、人間は「極度に低覚醒」か、その逆の「過覚醒(闘争/逃走状態)」に陥ったときにメンタライゼーション能力が低下あるいは喪失される。

そしてこの「低覚醒→健康な覚醒状態→過覚醒」という覚醒状態をスペクトラム化したとき、グラフの先端にあたるようなメンタライゼーション能力の破綻を来している人が精神病として診断される、という理屈。このあたりの「正常/異常」的な分け方をせず、ゆるやかなスペクトラムを描くアプローチは人間はみな多かれ少なかれ病理を抱えているという精神分析の伝統を感じる。

また、メンタライゼーションは元々は境界性パーソナリティ障害への治療法として開発されたものの、この本の著者独自の仮説として書かれている日本における病名の流行への推察もおもしろい。、近年典型的な境界性パーソナリティ障害が減り、自閉症や発達障害が増えている(そして近年活気づいているのがトラウマ・心的外傷≒複雑性PTSD)という病名の「ブーム」の変遷にもメンタライゼーションに基づいた著者独自の仮説が書かれており、これもかなり説得力がある。というかこの部分が一番気になっていたので本屋でこの節を見た瞬間に急いで購入した。

他の心理理論との親和性も高く、愛着理論や心的外傷、また神経生理学をベースとした身体・神経系モデルともうまく噛み合う部分が多い。実際の治療は精神分析の流れにあるため対話療法として紹介されているけどマインドフルネスや認知療法と通底する示唆もある。

全体的に症状を取り除くことで治療するという医学モデル的な性格が強い本よりもあくまでも人間に普遍的に備わっているメンタライゼーション能力をスペクトラム的にコントロールしていくというアプローチがかなりしっくり来たし共感を持って読めた。他の本だと正直症例に壮絶な人が多すぎて(特に翻訳書)参考になりにくいことが多いので……。

メンタライゼーションの一般書はもう1冊崔炯仁『メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服』が出ているので年が明けたらこっちも読んでみる予定。