投稿者: yunaster

マンハッタンカフェ

マンハッタンカフェはなんとしても欲しかった。

というのも史実馬で一番興味を持ってるサンデーサイレンスを絡ませていたから。

ウマ娘版マンハッタンカフェのキャラ付けは霊感少女。普通の人には見えない「お友だち」がいて、その子に追いつくために走り続けている。
そして作中ではそのお友だちのモデルがサンデーサイレンスであることが仄めかされている。

現役時代のSSはアジリティに優れコーナーの走行が得意だったらしい。

またマンハッタンカフェの世代は他にアグネスタキオン・クロフネ・ジャングルポケットなど他にもスターホースが揃った群雄割拠の時代で、さらに上の世代のテイエムオペラオーを倒したことで(各距離のスペシャリスト揃えてやっと倒せるのがオペラオーという見解もある)新世紀の最強世代とも呼ばれる。

代わりにどの馬もクラシックがピークの短命で活躍期間は短い。
ウマ娘はコンテンツ展開で最初の長編ストーリーともいえるアニメ1期でシナリオサイレンススズカを取り上げたように、史実をなぞりながらifストーリーを山場にするのが得意なのでそのあたりも注目してた。

クロフネその他はいないので(なんかデジタルのシナリオで「名前を読んではいけないあのウマ」みたいに出てくるらしくて笑った)、相方は自動的にアグネスタキオン。

史実のアグネスタキオンは皐月賞で引退しているのでタキオン本人のシナリオはほぼオリジナルストーリーみたいなもんだったけど、カフェ版シナリオは史実通りに皐月賞で引退したタキオンがマンハッタンカフェのサポートに回る。

アグネスタキオンは「ウマ娘」という出オチみたいな概念に対して「ウマ娘とは何か」というメタ的な視点を持っているキャラだけどそのあたりが存分に使われている。
史実カフェの故障リスクが霊能力による呪いとして導入されており、自身も故障リスクを抱えているタキオンがそのサポートに回り、自分の代わりにカフェを勝たせることで「ウマ娘という存在の限界を見る」を達成しようとする。
というかたしかにカフェが主役ではあるけどタキオンの思惑や身体の不安は明かされないので、実質的にタキオンシナリオの別ルートのような趣きもある。

シナリオ序盤は史実通り体質の弱さを克服したカフェがクラシック秋から頭角を現し、さらに「お友だち」へもどんどん近づいていく。
ゲストとしてスペシャルウィーク、サイレンススズカ、ゼンノロブロイといったカフェとタイプの違うサンデーサイレンス産駒のウマ娘が登場し、それぞれとレースを走ることでパズルのピースが埋まるようにカフェの中の「お友だち」が立体的になっていく。

そして物語の転換点となるifストーリーの入り口が、凱旋門賞への挑戦。史実ではこの無理がたたり引退することになる。

後で知ったけどサンデーサイレンスが亡くなったのはこの凱旋門賞挑戦の直前だったらしい。マンハッタンカフェは社台グループの吉田照哉が共同オーナーの1人で、凱旋門賞を強く推したのも吉田だったそうなので、サンデーサイレンスと瓜二つの姿だったマンハッタンカフェに何か懸けている想いがあったのかもしれない。

これも史実の陣営の言葉らしいね。
ここで今まで通り自分の行く先を決めてきた「お友だち」を追って海外へ行こうとするカフェをタキオンとトレーナーが引き止める、という構図になる。

代わりに挑戦するのは宝塚記念。

ここで幻覚のようなゾーンに入ったカフェを見たタキオンが闘争心を思い出し、決別を切り出す。

クライマックスは古馬有馬記念で現役復帰したアグネスタキオンとの決戦。

凄い密度のシナリオだった。ウマ娘のifストーリー路線の集大成と言っていいんじゃないか。

そしてエンディングではいつのまにか周りに慕われるようになったマンハッタンカフェが描かれる。

サブタイトルは静かなる継承者。おそらく父サンデーサイレンスの他界後、アグネスタキオンと共にリーディングサイアーを取ったのが元ネタだろう。
種牡馬マンハッタンカフェはSS後継種牡馬の中でも特にサンデーサイレンスの「母系の能力を引き出しそれぞれ得意な距離や馬場が違う多彩な産駒を出す」という性格を受け継いでいたらしい。

圧倒的に重厚なシナリオだった。孤独な少女のビルディングスロマンでもある。物語を読むってこういうもの。


ミライトワとソメイティのプラモデル

積んでるもう1箱のFAGがあまりにも難易度高そうなのでもうしばらく簡単なキットを、と思って模型店回ってたけど品薄で何もない。そんな中でこれが見つかった。

待っていた……この瞬間を……。

定価2000円で半額1000円。
どんなもんだろと思ったら色分けされたランナーを組み合わせて市松模様を再現するというバンダイの技術力が投入されていそうな作り。

胴体はもちろん瞳もランナーを組み合わせる表現方法になっててこれが謎の技術っぽくてすごい。
写真がソメイティのほうしか残ってなかったけどこんな感じ。

手足は可動式かつ表情差分もついてる。
スティレット制作時作ってて不安になるダボや可動部のキツさに比べてはめ込みも可動の雲泥の差だったけどこれがガンプラのバンダイの精度なんだろうか。

そんなこんなでさくっと完成。
書き忘れてたけどランナーとの接続部が極限まで細くて手でぷちっと外せるのでニッパーすらいらない。

以下は付属品(サッカーボールとハードル)とほぼパッケージの作例写真通りのアクション。

かわいいですね。
東京オリンピック最高の功績はミライトワのかわいさだと思います。

次は相方。

車椅子がついてる。
5パーツくらいしかないのに地味にディテールが凄い(車輪もちゃんと傾きがある)。

かわいい。

ツーショット。

作例写真として車椅子卓球が出てるんだけどこれが地味にかなり感心する。
こんなにデフォルメされた等身なのに手足がぐりぐり動いて本当にいろんなポーズが取れる。

面白かったな……。


スティレット

大掃除で出てきた。いつ買ったのか本当に思い出せない。

巣ごもり中だしと思って十何年かぶりにニッパー握ったけど本当に疲れた。
ガンプラみたいなもんだろと思ってたら想像より遥かに大変だった(最小限程度にゲート処理とかやったのも大きいけど)。どの部品も小さくてもう少し老眼が進んでたら致命的だった。

とはいえ久しぶりのプラモ作りやったら楽しかったな。一瞬で時間が消えるし心が無になる。

 


加藤周一の『日本文学史序説』

9月から今月にかけては何年かに一度の本の虫干しをしていた。
どかどか大量抹殺していると買ったことを忘れた本も出てくるもんであって、その中の1つがこれ。
ちくま学芸文庫にずっと昔から入っていて漠然とすごい本なんだろうなとは思ってたけど実際読み始めると笑っちゃうくらい凄い。

日本文学史と言っても漱石あたりから始まる近現代小説を扱っているのではなく、万葉集と古事記から始まる。そして文学史のタイトル通り作品の成立に影響を与えた当時の歴史的・社会的情況、さらに著者のパーソナリティも想像力豊かに描出されていてすらすらと読めてしまう。
どんな記述でも教科書的な紹介に堕している部分が一切なく、序文で述べられている日本文学における歴史的法則に基づいてはっきりと言い切っている。

それぞれの文学作品が成立した背景・条件も懇切丁寧に論じられているのでもはや文学史の枠を越えている。一種の日本論であり、日本人論であり、日本語論であり、日本思想史であり、日本宗教史でもある。なんだかんだ言っても昭和の文芸批評家は凄かったのがわかる。

今やっと上巻の半分、鎌倉時代まで読み終わったところだけどここまでで既に聖徳太子の十七条憲法に始まり万葉集や古事記と言った古代の歴史的資料に文学批評の眼が向けられるところから開始し、そして空海・最澄の初期仏教、竹取物語のような古代文学、日本霊異記・今昔物語のような民衆のための物語、源氏物語や古今集の平安文学、浄土宗から禅宗までの鎌倉仏教、さらに武士の台頭への貴族側からの応答としての新古今集や鴨長明の隠者文学、そして平家物語と思いつく限りすべてが網羅されていて、そのすべてがきっちり一本の芯が通って解説される。狂気の本。一方で建礼門院右京大夫といった今まで知らなかった著者もいて関心を惹かれる(非常に好きになる気がする)。

僕はもともと植芝理一でアジアや日本の呪術的で神秘的なモチーフに惹かれてこの世界に足を踏み入れて、そのあと西洋哲学から吉本隆明を経由し最近はまた日本的なものにより関心が深いんだけど(京都旅行するといくら勉強してもまだまだ勉強足りないな~と思わされる)、ここまで総合的な本が存在してたとは思わなかった。これはたぶん20代じゃ読めなかったな。ちびちび読み進めてるので今月はこれで終わりそう。


糸の切れた凧みたい

生活リズムは崩れてるし部屋に引きこもってるしでだいぶ空虚になってる。

このままもうすぐ冬かぁ。

いよいよ危ういな。

 

 


令和はトラウマの時代になる

眞子さまが複雑性PTSDを公表された。
ただ実質的には一般的に「適応障害」と診断される症例に近いんだと思う。「複雑性PTSD」はまだDSMに載っていない。まあいずれにしてもトラウマ(心的外傷)が問題なのは間違いないし、この1件でアダルトチルドレンや発達障害みたいに注目されることになるのかもしれない。どこかで「平成は発達障害の時代だったが、令和はトラウマの時代になるのではないか」という文章を見たのを思い出す。

この日記ずっと読んでる人どれだけいるのかわからないけど、結果的にこの1年はトラウマについてかかずらうことになってしまった。
そもそもなんでこんなことになったかといえば、話はある日なんとなくネットでやった診断(これ)に遡る。もともと生きづらさ抱えている人間なので似たようなのはよくやってたし、今回もいつも見るような結果が出るんだろうと思ってたけど、これは初めて見る単語があった。それが「トラウマを抱えている可能性がある」という結果。
これが妙に印象に残っていて、今年の初めに一気にメンタル崩したときに一番に思い出したのもこれだった。
もともとネット経由で細い人付き合いができるようになった頃からも、心の中でこれやっぱり何か普通の人と違う病的な問題があるんじゃないかって疑念が拭えないことが多かったので、いよいよ時が来たかと思って観念して取り掛かるようになった。

症状も寛解に近いしそろそろ年末も迫ってるのでいったんここで読んだものをまとめてみる。

ベッセル・ヴァン・デア・コーク『身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法』

第一人者による大著。CTスキャンによる脳画像を根拠とした客観的な科学的証拠を積み上げ、「心の傷」が「身体」にはっきりと変化をもたらすことを主張する。心理学よりも脳科学・神経生理学がベースになっていて、説明はすべて脳や神経系の生理学的メカニズムに基づいている。治療法では薬よりもヨガのような様々な精神療法を提案しているのが特徴。トラウマ処理という常識を遥かに越えた世界を目の当たりにさせられて衝撃を受けた。

ジュディス・L. ハーマン『心的外傷と回復』

上記に並ぶトラウマ研究の古典的大著。文学的ですらある生々しい筆致による当事者の心理的な模様が微に入り細に入り描かれている。ヴァージニア・ウルフやティム・オブライエンのような戦争体験を扱った文学作品もよく引用される。ちょっとずつ読み進めてるけどあまりの生々しさに読んでて具合悪くなるからまだ読み終われそうにない。

熊野宏昭『ストレスに負けない生活 ――心・身体・脳のセルフケア (ちくま新書)』

何度も書いてるけど新書のサイズでこんなに心身の繋がりを突っ込んで書いている本はない。ヴァン・デア・コークの大著と重なる部分がかなりあり、身体的な介入がなぜ精神面の問題に効くのかというのを事細かく書いている。著者は日本におけるマインドフルネスの第一人者でもあり、そっちの著書もよい。

伊藤絵美『セルフケアの道具箱』、伊藤正哉他『こころを癒すノート』

薄めの自助本としてはこのへんが。本屋に行ったら目立つところに並んでるんじゃなかろうか。即効性が期待できるようなものではないけどしんどくなってる人間に厚い本はそうそう読めない。

水島広子『トラウマの現実に向き合う: ジャッジメントを手放すということ』

ある分野について調べていると、そのジャンルを越えた普遍性を持った本に出会うことがあるけど、今回はこれがそれだった。
何度も絶版になりながらも何度も版元を変えて出版されているらしく、そういう経緯がなんとなく読み取れる本。
著者は対人関係療法という心理療法の日本における第一人者で、長年の臨床経験を重ねるうちに心に溜まっていった思いを一挙に書ききったという印象を受ける。そういう力を感じる本。
どちらかというと治療者向けの啓蒙書の体裁を取っていて、「治療者は病気の専門家ではあるが、人間の専門家ではない」という序文にほぼすべてのメッセージが込められている。
本の中ではそもそも人間誰でも心になんらかの問題を抱えているにも関わらずそれを「病気として扱う」という部分をどうするのか、という本質的なところが語られている。
本ではこれを「ジャッジメント」「アセスメント」というキーワードで直感的かつ本質的に分析される。治療者が介入できるのはあくまでも「モデル」としての精神病までで(アセスメント)、人間としての全的な回復にはむしろ診断が「ジャッジメント」に繋がり、病名をアイデンティティにしてしまうような事態を警告している。そしてその人間としての回復も「自己コントロール感覚の回復」と簡潔に述べられており説得力がある。
総じて精神における病と健常の境界にいる人に向けて必要な言葉を噛んで含めるように丁寧に丁寧に説いている本当によい本。

花丘ちぐさ『その生きづらさ、発達性トラウマ? ポリヴェーガル理論で考える解放のヒント』

ポリヴェーガル理論については理論として整然としすぎていてちょっとどうなんだろ……と思う部分が多いんだけど、知的な興味関心としてはだいぶ面白い。何よりこの考えをベースとしてソマティック・エクスペリエンスにかなり効果が認められているという実績もある。
この本はポリヴェーガル理論についての最も簡便な入門書で、入門書すぎるせいで説明が簡略化されすぎていてちょっとうーんってなる部分も多いんだけど総じて知的な興味として面白かった。

杉山登志郎編『発達性トラウマ障害のすべて こころの科学増刊』

杉山登志郎さんは日本におけるトラウマの現場対応の第一人者らしく、ヴァン・デア・コークの序文など様々なところで名前を見る。
この本では薬の処方から自分でできるエクササイズ的な簡易療法やほぼ疑似科学そのものだけど現場では使われているTFT(ツボ押し)までありとあらゆるトラウマの精神療法の論文が収録されている。日本の戦後や認知療法の歴史やなど読み物としても関心を惹かれる部分が多い。

『「日常型心の傷」に悩む人々』(現代のエスプリ no. 511)

論文集。タイトル通り戦争や災害や性暴力やのような強烈な体験ではなく、現代の日本の社会における地に足のついたレベルで起こりうる出来事についての心の傷をモデルとした事例が扱われている。2010年刊で微妙に内容が古くなっているのにもったいなさを感じるんだけど(たとえばネットでのいじめを扱った論考にはSNSは含まれていない)、それでも発達障害やいじめや各種ハラスメントなど現代の環境がいかに心の傷を生みやすいかが網羅的に書かれている。

こんなところか、健康に過ごせるといいですね。


ヴァルゴ杯

エイシンフラッシュ実装からウマ娘復帰してちょこちょこやってるうちに次のチャンミがマイルかつ環境キャラの水マルとセイウンスカイがいることがわかったのでつい手を出してしまった。
解析と検証勢の研究ありきのまさにサイゲゲー。

案の定ワンチャンあったね。
育成のハードルが高すぎたのでもう二度とやりたくないけど……。

もう全部こいつ一人でいいよの水着マルゼンスキー。
育成の地固め+マイルS+緑3つ+道中スキル+ステ盛り全部やるのがしんどすぎた。昔ちょっとポケモンの対人戦に手出してたときのこと思い出した。
マイルSなし、スタミナぎりぎり、パワーと賢さ足りない、道中スキルほぼないに等しいと色々と未完成なので勝率はあんまり出てないけど逆にこれくらいのステでも予選ノルマくらいなら十分勝てた。今までやったチャンミで一番手応えあった。

この期に及んでもどうしてもサポカは引きたくなかった。

マルゼンスキーの相方のセイウンスカイ。
こっちも未完成だけどそこそこ勝ちは拾えてた。マルおねと合わせてちょうど勝率50%になる。
ちゃんと仕上がってると本家アンスキ発動した時点で勝ち確らしいけどマイルSないのが悪いのがちょくちょくウオッカにぶっ差されてた。
アンスキの継承元をレンタルに頼らなくてもいいのでそういう意味でも助かった。スカイ大好き。

保険で入れた差しオグリ。アオハル育成試してるうちに偶然上振れしてS取ったので何も考えずに入れた。
これでもまあまあ勝ってたし善戦してた。やっぱり万能。

ラウンド2のあたりで育てて入れたら結構勝ったので決勝は迷ってオグリと入れ替えたグラス。
育成ノルマ少なくてアオハルで育てやすくて楽しかった。

常設チムレに入ってるマヤノ。3勝決めてからお試しで入れたら1回勝った。

試しに育てたらマイルSになったので一応入れてみたけど話にならなかったフラッシュ。

いやー満足した。
決勝のマッチング運もあったけどちゃんと手かけただけの結果もらえたし。
これで思い残すことも……

いや、もうさすがに……。


三岸好太郎・節子とキース・ヘリング

先月から今月にかけて美術館に行ってた。まとめて2つ分。

北海道近代美術館という札幌の中心部にある大型の美術館のそばに、分館のように三岸好太郎美術館という単体の作家のための美術館がある。たぶん初めて行った。
三岸好太郎は戦前・大正時代に活躍した北海道出身の洋画家で、31才の若さで夭逝した。この美術館はその三岸好太郎のコレクションをもとに設立されたもの。
行ったときにやっていたのは好太郎の妻であり自身も洋画家である三岸節子との二人展。

三岸好太郎の作品はほぼ全キャリアを網羅した回顧展。31才で亡くなっているので活動期間は10年にも満たないはずだがスタイルがめまぐるしく変わっていた。初期の荒っぽい塗りから抽象絵画のようになり、さらにシュルレアリスムのようになる。この後も生きていたらまた変わっていたんだろう。

三岸節子は日本の洋画界における女性画家の第一人者であり神のような人であるらしい。1999年で94歳で没するまで創作を続けた。そもそも好太郎の作品も散逸していたのを節子が収集したことでこの美術館ができたという。やばいね。

作品はどれも非常にエネルギッシュだった。画題はオーソドックスな風景画や室内画が多く、奇抜な絵を描いているわけでないんだけど、とにかく力いっぱい力を込めて描いてるのが伝わるような絵だった。サイズの大きいものも多かった。節子も埼玉県に個人美術館があるらしい。

そこから借りてきたらしい最晩年の桜の絵が圧倒的にすごかった。撮影OKだったから撮ったよ。

日本における桜はただ美しいだけじゃなく、生と死の両方を司っているモチーフでもある。
それにしたってこんなに荒々しい桜の絵は見たことない。正直言うとこの日も体調悪くて半分くらい座ってたけどこの絵はそれを吹っ飛ばすくらい強烈だった。芸術の効用を感じた。

次は芸術の森美術館のキース・ヘリング。すべて撮影OK。

街中から離れた南区真駒内近くの山の中にある。

キース・ヘリングは昔から好き。アートへの目覚めだったかもしれない。そういえばヘリングも31才で死んでたな。
今回の展覧会は山梨県の中村キース・ヘリング美術館から中心的に借りてきたよう。
一般的なポップアイコンのイメージだけでなく、ダークで過激な作品が半分くらい占めていて面白かった。

古代の呪術的な表現に傾倒していた時期もあったらしい。

ウィリアム・バロウズとの共作(上がバロウズの詩)。

立体作も多くて面白かった。

最後に配置されていたのがブループリントという初期の作品を再び再制作した連作で、これが一番印象深かった。UFOやピラミッドが出てくる中で、お決まりの犬や赤ん坊やポップな人間たちが暴力的だったり性的だったりする謎めいた行動を取っていく漫画みたいな絵。


国書刊行会からスタニスワフ・レム・コレクションの第Ⅱ期が出るらしい

レムは哲学的な素養や文学の知識が別格なところがあって、池澤夏樹さんのような文系SFファンに人気が高い。
ご多分に漏れず僕もSFジャンルで好きな作家はヴォネガットかレムくらいしかいない。大学生の頃イーガンとかも読んだけどSF小説ってどれも科学的な考証は多分すごいんだろうなとは思えどストーリーテリングがどれも凡庸にしか思えなくてピンと来なかった。

今回のはざっと見た感じだとハヤカワで既に翻訳済みの作品の新訳が多めかな。『浴槽で発見された手記』はたしかサンリオ文庫で狂ったプレ値になってたはずなのでこれが一番需要ありそうか。
『インヴィンシブル』(『砂漠の惑星』新訳)、『捜査』(旧訳同タイトル)、『電脳の歌』(『宇宙創世記ロボットの旅』新訳)、あたりはそこそこ手に入りやすいしレムファンなら既読の人も多いと思われる。
となると残りは

  1. 『火星からの来訪者──知られざるレム初期作品集』
  2. 『マゼラン雲』(「旧共産圏以外では初めての翻訳となる、若きレムが描く壮大な冒険の物語。映画『イカリエ-XB1』原作。【本邦初訳】」とのこと)
  3. 『地球の平和』(「〈泰平ヨン〉シリーズの最後の作品であり、レムの最後から二番目の小説。【本邦初訳】」)
  4. 〈別巻〉『レムかく語りき』(「生い立ちから創作過程、文学観、政治情勢から文明論、人類の未来など、あらゆるテーマについて縦横無尽に語るレム。文芸批評家のスタニスワフ・ベレシ(ヴロツワフ大学教授)が聞き手となって行った連続インタヴューをまとめた、レムの創作過程と思想を知るために決定的に重要な一冊。【本邦初訳】」)

この4冊が目玉になるか。
ただ正直もうレムで未邦訳の作品はそんなに出来のいいのは残ってないと思われるので(レムの若い頃の作品は結構リアルに若書き感が強い)、レムフリーク向けのラインナップという印象が強い。『地球の平和』は泰平ヨンシリーズかつ、世界文学史上最高レベルの傑作『大失敗』から1つ前の作品ということでこれは期待できるかもしれない。

とは言ってもこのシリーズの立役者と思われる沼野充義先生は「SFジャンル作家から世界文学としてのレム」というイメージを持っていると思うのでとにかくこれが揃う意義は強いとは思う。

個人的には本当に読みたいのはここでちらっと紹介されている『SFと未来学』っていう冗談みたいな大著(らしい)なんだけどさすがにこれは俺が生きてるうちに翻訳されることはなさそう。


YUKI concert tour “Terminal G” 2021

2度目のYUKIライブ。aikoと並んで最近またにわかに関心が高まってる歌手の一人。もうエッチな40代歌手のコンサートしか行きたくない。

この少女性と母性が混在する感じは唯一無二。ていうか帰って調べるまで年齢ほとんど気にしてなかったけど来年で50才かよ……。

YUKIをまた聴き始めたのは2019年に地元のホールのスケジュール一覧に名前があったのを見かけた瞬間ビビッと来てチケットを取ったのがきっかけ。
このtrance/formeツアーがとにかく圧倒的なパフォーマンスであんまり良かったので次のツアーも行こうと決めてた。

一時期のYUKIは喉のコンディションをかなり落としていたらしいけど、近年はばりばりに声が出ている。シャウトやフェイク入れまくり。ジュディマリを引きずってた若い頃より技術や円熟味で出てきていて今のほうが上手いんじゃないかとすら思う。
今回のライブは開演後の1曲目を完全に暗転させてしばらく姿が見えないまま歌っていたけどあまりに上手すぎて一瞬CD音源流してるのかと疑ったくらい。

いわゆる独自の世界観を持っているタイプのアーティストだけど、ライブもまたステージングや演出にそれが現れていてこれが非常に良い。独特な形状のセットが組まれた上にカーペットやソファのような家具や小物が配置されていて、客席からだとYUKIがドールハウスの中のお人形さんみたいに見える。今回は前回にも増してセットや転換が作り込まれていた。MCもフリートーク半分台本半分くらいで演劇みたいな作り。ほとんど行かないけど洋楽アーティストっぽいライブかもしれない。

助成金事業?で今回のツアーのダイジェストがもう上がってるんだけど、映像だとこのステージングの印象があんまり伝わらないのが惜しい。

昨今の情勢はやはりというかミュージシャンみたいな職業の人には影響を与えるみたいで、YUKIみたいな特にマスを対象としたセルフイメージに気を使っていそうな人でも去年はアルバムの制作がストップしているうちに自分から歌いたいという欲求が沸き起こってきたという話をしていたのが印象深かった。「セラピー」という単語がぽろっと出てきてたのが特に印象的。みんな自分自身を見つめ直す機会になってるんだろうな。多かれ少なかれ。

あんまりそういう聴き方してなかったけどやっぱりTerminalもこの時代の空気が反映されてるんだな、と思う。

いやしかし良かった。相変わらずメンタルも体調も悪いし実生活もなんもかも全部やめたくなるようなことばっかり起こってんだけどなんかシンプルに元気もらえた。
コロナ体制での会場規制対策でかアンコールなしの2時間きっかりで終了と短めだったのがちょっとだけ残念(JOYやランデヴーみたいな定番曲は流れで入るとこになんとか入れた感があった)。
来年はソロ活動20周年らしいけどそのアニバーサーリーライブとかやってくれないかな。


されどナナシスはつづく The Show Must Go On

先週のナナシス武道館の配信を観ていた。さすがに感慨深い。いろいろと。そのいろいろについては書き尽くしたのでもうわざわざ書かないけど。

コンプリートミュージックファイルでクマロボさんが茂木を評して「一緒にバンドをやっているような感覚で接してる。自分がバンドメンバーだとしたら『この人を喜ばせたい』と思うボーカルやリーダーみたいなタイプ。カリスマを持っている人」と言っていたのがとても的を射ていると思ってる。

そして今のナナシスにそのボーカルはいない。

フロントマンを失ってなお存続してるロックバンドはいくつも思いつくけど、それもよっぽどやむにやまれぬ事情がある場合が多いだろう。
どうしたって大人の事情が絡むこのコンテンツ産業でこの後のナナシスはどう舵取りがされるんだろう。まだ何も見えない。ただゆっくりと待ち続けてる。