上田麗奈『Nebula』は音響と物語性を深化させた作品世界の新しい地平

上田麗奈『Nebula』は音響と物語性を深化させた作品世界の新しい地平

約5年間で1枚のミニアルバムと2枚のシングル、そして初のフルアルバムにソロライブの開催とゆっくりと着実に歌手としてのキャリアを重ねてきた上田麗奈さんの最新作。
明るく抜けがよかった前作『Empathy』を経て、今作は再び音響に振った作品。それも単純に打ち込みの音を使っているってだけじゃない、アンビエントやポストロックにも分類されそうな音響や音像を感じさせる、鬱っぽいエレクトロニカ。
全10曲41分とランタイムは短めながらも密度の高いコンセプトアルバムで、内省的で箱庭的な世界観を作り込んだ前々作『RefRain』への揺り戻しも感じさせる。

さすがにここまで暗いベクトルに振り切るのは想像してなかった。Empathyが積極的なアーティスト活動を反映した明るく外向きの作品だったので次はどうなるかと思ってたけど、ここまで真逆とはね。
まあたしかに昔から上田麗奈という人は†闇†を語られることも多かったけど(RefRainもそういう性格があった)、後年こんなに深く掘り下げられることになるとは。

制作の手法も一般的なポップスの枠を越えた様々な手法が使われている。聴き始めて最初に不意を突かれるのがノイズや叫び声をコラージュしたM-3「Poème en prose」。2分弱のインターリュード的な小品でアルバムの流れを決定づける挑戦的な作り。
さらに以前から特徴的だった演技的なアプローチの歌い方も活かされていて、アルバムの前半は闇や狂気性を強く押し出した曲が並ぶ。上田さんの過去作でいえば『RefRain』収録の「毒の手」「車庫の少女」あたりの方向性を展開させたと見ればいいか。しかし声優のソロアルバムでこんなのが平気で出てくる世の中になるとはね。

「白昼夢」なんかは特に歌メロより音像や音響で聴かせるタイプの曲だと思う。ポストロックっぽい。意外とちゃんとしたリスニング環境でちゃんとしたボリュームで聴いてるかどうかでだいぶ印象が変わるアルバムかもしれない。

そして、アルバム全体の流れでカタルシスが与えられるのが、7曲目に配置されている本人作詞の「プランクトン」。

これはもう圧倒的に素晴らしい。
曲名通り水中をモチーフとした浮遊感のある曲で、内面と現実の狭間を漂いながら浮上するように赦しと救済が歌われる。
この前向きで明るいけど押し付けがましくない温度感が本当に絶妙で、最近の世界の空気感の反映も頭をよぎる。

ここを転換点として蓮尾理之、照井順政、コトリンゴという今回から新しく参加した作曲家の曲が続く。これも外向きのベクトルと対応した明るい曲。
以前からアルバム通した物語性を持たせることにこだわってた人だけど(上田さんはラジオやメディア出演するとの曲もコンセプトを全部事細かく語ってくれる)、今回はこのドラマ性もぐっとスケールが大きくなった。アルバム全体を通して1人の主人公の心理的変遷を描く、脚本家と役者を同時にこなす自作自演歌手のような貫禄がある。

上田さんのソロ活動もかれこれ5年目になっているのでもう無意識にハードルが上がりきっているけど、それでもいまだなおアニソンシーンでこんな音楽が生まれるのは素直な感動がある。
上田麗奈ソロ作を聴くと毎回中谷美紀のことを思い出すのでそれも別に書いた。

昔からずっとこういう音楽が好きだった。変な曲を歌ってる不思議な女性シンガー。僕の大切なルーツの1つでもある。

上田さんが歌ってくれているおかげで、僕の過去と現在が繋がっている。
そういうことがとても嬉しいし、とても感謝にたえない。