Tokyo 7th シスターズ EPISODE 6.0 FINAL――ナナシスが完成するとき、”iDOL-nEW-gENERATION”の解答

Tokyo 7th シスターズ EPISODE 6.0 FINAL――ナナシスが完成するとき、”iDOL-nEW-gENERATION”の解答

ついに本物になった。
終わったあと最初に頭に浮かんだ言葉がそれだった。

結局のところなんでこんなわけのわからん駆け出しのアイドルコンテンツに対してただ単に対価払ってはいおしまいの関係以上の”推し”になるかっていえばそれが続いてほしいからに決まってるわけなんだけど、それは言い換えれば、そのコンテンツの未来を見ていることを意味する。

そして、Tokyo 7th シスターズというコンテンツは、最初からその未来に「終わり」を設定していた。f

ある存在が1つの終わり(テロス)を内包することはある事態を意味している。物語化である。時間軸にタイムリミットが設定されることは必然的な別れを予感させるが、その対価も支払われる。

1つの物語の終わりは〈死〉を意味していない。テロスを内包した存在にとってのそれは〈完成〉を意味する。そのモデルは生命に似ている。人は種の中にやがて展開される美しい花のヴィジョンを見ている。

しかし言うまでもなくこのソシャゲ中心のアイドルものとかいう媒体でこれをやり通すのは簡単なことじゃない。言うだけならタダだよ、そりゃ。実際やり通せた例なんかいくつあったことか。

しかし、やりきった。本物だよ。俺の信じたコンテンツは。

★★★

結局のところ、物語としてのナナシスは、最後までアイドルあるいはアイドル的なもの一般に対する問いかけが主題になりました。

この世俗の論理が支配する相対性な世界において、それらの存在は何の意味があるのか。そこに本当の輝きはあるのか。人が生きることについてどんな寄与ができるのか。

ナナシスはこれに解答するため、アイドルに対し「人間」という項を代置させました。しかし、この二項対立への「解答」はいまだ出していなかった。

僕の読みうる限り、ここまでのナナシスは単純に「エンタメの偶像としてのアイドルより地に足のついた唯物論的な人間存在にプライオリティがある」という答えは出していませんでした。事実上のアポリアでもあるでしょう。あるいは、セブンスシスターズの物語はそれを描くものだったと言っていい。

そして、EPISODE4.0からの長編シリーズは、ほぼこの解答を出すための道筋だったと思います。
ここからのナナシスのストーリーは、事実上スマホアプリゲームのノベルパートとしては完全にバランスが破綻した。今年の初めくらいからはもうこれ今から他人に勧めるの無理だわと悟った。ここからはもう本格的についてこれる奴しかついてこれない。

EP4.0以降のストーリーは、ほとんどの場面で業界の論理や慣習や資本のような「大人の世界」が前景化していきました。そんな生臭く不愉快で(まじで読んでて何度も俺なんでわざわざこんな苦痛な思いしてるんだろと思った)相対的な世界の中でも〈アイドル〉に意味を付与することはできるのか。

Tokyo 7th シスターズは、できる、と言い切った。7年の歳月をかけて。

Tokyo 7th シスターズが解答を出した新しいアイドルのかたち、〈アイドル〉も〈人間〉も超える、iDOL-nEW-gENERATION

その新しいアイドルの名前は、「シスターズ」。

★★★

もう最後だから言うけど茂木さんの話作りは正直最後まであんまりうまくなかったと思う。伝えたいテーマやメッセージが先行しすぎて他が舞台装置的になりすぎてる傾向はずっと気になった。

でもやっぱりそれも含めてナナシスだよ。オルタナティブであり続けることを最後まで貫き通した。
そして、このコンテンツを語るとすれば、内容と同じくらい現実の展開を考えないほうが嘘だと思う。
数々のインタビューの行間を読み取るに、ナナシスもたぶんビジネス的に広く大きく展開するチャンスは何度もあったと思う。自分にしてもそのうち大きいところから声がかかってアニメ化するような風に考えてた。ある意味いつも心のどこかで離れる時を探してたのかもしれない。

しかし、結局そういう道が選択されることはなかった。茂木さんが一度は就職した日本のエンタメ業界に嫌気が差して留学していたという話がずっと頭に残っている。
そして、この不思議なコンテンツは俺みたいなひねくれ者ですら想像だにしなかったくらい頑固で不器用でいびつな道を歩き通した。6年間着いていった結果最終的に出てくるのが視聴目安時間106分のノベルパートとか考えることある?素晴らしいよ。僕は青春をナナシスに捧げたことを一生の誇りにします。

とはいえやりきった。本当にお疲れ様でした。
最近つくづく思うけど後から振り返って可能性としてもっとよくできたとかもっとうまくできたとか言うのは簡単だけど、そんなことより現実に存在を与えるほうがよっぽど大事ですよ。頭の中や下書きや企画書にあるどんな綺麗な理念よりも、どんなにいびつで不器用でも〈作品〉のほうが圧倒的に力を持つ。

こんなろくでもない時代のろくでもない世界にも本物の輝きはちゃんと現実に生まれる。

そういうのってアイドルだと思う。