虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会、オルタナティブなラブライブ

今期はよくアニメを観ていますが、1本選ぶとなると虹ヶ咲に固まってきました。なんだかんだアイドルものが好きだしね。

9話まで終わって当番回が一巡したのとスクスタも始めたのでそろそろちょっと書いときましょうかね。

花田先生じゃないラブライブ

さて、大前提としてまずいくらなんでも今更ラブライブ知らない人はいないでしょう。そして今作はそういう地点から、外伝的な位置づけとして明確に差別化が図られた作品になりました。

何が違うのかといえば、コンテンツ全体のコンセプトとして全員がソロアイドルを標榜しているというのもあるけど、やっぱりアニメ側の作りだと思う。

これまでと大幅に変更された癖の少ないキャラデザはいわずもがなですが、個人的に最も大きいんじゃないかなと思うのは、花田十輝さんがいないことです。個人的にアニガサキとはなんぞやと言えば「非花田十輝のラブライブ」というのが私が感じているおもしろさをうまく言い当てられている気がする。念のため言っとくと私は花田先生の大ファンです。

かつ面白いと思うのは京極・花田体制の作家性が波の大きく虚構的な表現を多用するものだったのに対し、そこからの差別化が図られた外伝のほうがロジカルで隙のない作品になっていること。
スタッフを見ると、監督の河村智之さんは三ツ星カラーズ、脚本の田中仁さんはプリキュアを始めキッズアニメを多く手掛けている方みたいですが、たしかにそういったカラーを強く感じる。特に評価の高い6話・7話みたいなエピソードはこのスタッフならではだと思う。

ここまでは基本的に個人回が続いているけど、毎回各キャラへのケアやフォローが周到で、個々の長所や欠点、強さと弱さ、性格の二面性など、どの子も紋切型の印象にならないよう入念に描写が練り上げられている(果林回の9話は特に顕著だったと思う)。この練り込まれた細かいキャラクター描写はこの作品の最大の特長と言えると思う。
しかもこれ毎回必ず1話にきっちり収めてるのに唸る。「何らかの問題を次話に持ち越す」ということが極端なほど少ない。この辺は花田イズムと最も差異がある点かもしれない。

この細かいキャラクター描写は作画の面でも通底していて、作画のクオリティ自体がいいのはもちろんなんだけど、特に表情のお芝居がよい。時には台詞の言葉や声の演技以上に作画のほうが心理を雄弁に語る場面も目につく。

全員ソロアイドルの意味

虹ヶ咲のコンセプトとしては「全員がソロアイドル」というのが最も根本的なものでしょう。多分。これは現実的にライブするとき声優に欠員が出ても大丈夫みたいなビジネス展開上の理由もあったのかなと思うんだけど、作品としては「多様性の肯定」という現代的なテーマに深化されている。

あらすじを導入部だけ書いておくと、元々あったスクールアイドル部が部員同士の衝突による内部崩壊で廃部になり、復活を目指して主人公が仲間集めを……というテンプレを踏襲してるんだけど、その後は部員が集まったあともいわゆる団結路線に行かない。各々がソロアイドルとして好きなように活動する、という方向に行く。そしてそれが最も象徴されているのが3話の「ラブライブは出なくていい」という台詞。

ちなみにスクスタ版ストーリー(アニメと大筋は同じ)の序盤だと、せつ菜がラブライブ出場にこだわっている設定はない(見逃してたらごめん)。出てくる大会は「スクールアイドルフェスティバル」で、「ラブライブ」は言葉としても出てこない。アニメでラブライブの言葉が導入されたのは確実に先代とは違う道を行くという宣言でしょう。

さて、このコンセプトは単なる言葉や字面としての見栄えはいいと思います。今の空気感に合っていて受け入れられやすいとも思う。しかしそれをどのくらい説得力を持って表現できるのかというとやはりそう簡単なもんじゃないとも思う。
例えばμ’sシリーズはラブライブという大会があることがスポ根もの的な文脈を生むことに繋がっていたけど(個人的に親しみがある作品だとフォロワーのリステもそれを継いでいた)、大会がなくなった以上そういうものもない。あと廃部も一瞬で解決される。
これについてはラブライブ目指さない宣言後の4話に愛さんの当番回があてられている理由でもある。また、他の個人回も基本的に家族や本人、また部員含む友人といったパーソナルな範囲にフォーカスしたものが目立つ。

さて、こう書くとそれが悪いように聞こえるかもしれないけど、実際のところはどうなのかというと、面白い。1話から9話まで捨て回一切なく頭からしっぽまで面白い。なぜなら、1話完結での当番制の構成がそのままこれらのテーマに繋がっているからです。
虹ヶ咲は毎回最後に必ずライブシーンが入るキッズアニメっぽい構成になっているんだけど、各回これがそのまま各々のスクールアイドルをやる意味や、なりたいスクールアイドル像に直結している。
つまり、9回の個人回がそのまま、9人それぞれのラブライブを目指さないのにスクールアイドルをやる理由の解になっている。例えば友人のためだったり、自分自身のためだったり、あるいは家族や仲間やライバルのためだったりと。換言すれば、「毎回ライブシーンを入れるノルマがある」という制作上の制約が「ラブライブは目指さないけどそれぞれがスクールアイドルをやる意味」の解答になっている。
これがこのアニメのコアじゃないかなと思う。いわゆるストーリーの縦軸がかなり削られていることにも繋がる。そして、毎回そのピークに、ラブライブというアイドルアニメの金字塔が磨き上げてきたライブシーンが位置づけられている。この手つきが本当に鮮やか。

MV的なライブシーン

アイドルアニメの華といえばライブなわけだけど、今作はここも面白い。
CGの進化はさすがラブライブとしか言いようがないけど、今作はそれに加えて演出の自由度がものすごく高い。
序盤目立ったのは地形がいきなり変化してライブ会場になるパターン。この勢いは急に歌い出すラブライブの血統以外の何物でもない。

公開されている中だと愛さんの曲が歌う直前の地形変化まで収録されていてわかりやすい。

このあたりはリステDDのライブシーンをなんでもありの朝アニメ演出と地に足のついた深夜アニメ演出のミックスとして取り上げているこちらの記事を思い起こさせる。

また単にバーチャルなライブ会場ってのとも違い、現実に存在するロケーションを活かしながら変化させているのも面白い。これはたぶん長年に渡る聖地アニメ作りの延長線上でしょう。
代表的なのは日本科学未来館をステージにしたエマのライブシーン。

そしてもう1つはMV的なセンス。静止画や手書き作画のカットインなどが多用されていて、完全にライブシーンの枠を越えた映像としてすごく格好いいものになってる。これは彼方ちゃんのが強いかな。

YouTube時代っぽい現代的なセンスってのも虹の特徴の1つだと思う。限定公開ってなってるけどこれはさすがに放送後もずっと残してほしいな~と思う。再生数で差ついちゃったりするのが懸念なのかなと思うけど。

だいたいこんなもんかな、間違いなく今期一番リピートしてるアニメだし思ってた以上に入れ込んでる。ラブライブは特に縁の薄かったシリーズなのでようやく入り口見つかったのも嬉しい。

さて、あと最後に私が虹ヶ咲で最も関心を惹かれている点でもあるんだけど、虹ヶ咲のテーマは2010年代に本家ラブライブのオルタナティブとして作られた数々のアイドル作品、WUGや少年ハリウッド、あるいはナナシスのような作品が掲げていたテーマと近似している点が目につきます。2020年代の始まりに本家ラブライブの外伝がこのような主題を提出したのは何を意味しているのか、また最終話まで観終わったあと何が残るのか、その辺も楽しみです。